「わかりやすい」文章について

M2の人たちの学振の書類を見る機会が何回かあって、もう5人ぐらいにアドバイスしている。

学振の書類は、自分の研究計画・過去の研究を「専門外の人にもわかりやすく書く」のが大事なのだが、「わかりやすさ」ということの意味を捉えそこねると、単なるぼやけた文章になってしまう。例えば、「この方程式の解はいい性質を持っている。」という表現だけだと、何が「いい」のかわからない。例えば「この方程式の解は、2階微分の大きさまで評価できることがわかり、ある程度の『滑らかさ』を有している。」という表現のほうが具体的である。M2の人たちで学振の書類を書く人のなかには、少なからず、わかりやすさを重視するあまり、単なるぼやけた表現の文章になる人が一定数ある気がする。

「専門外の人にもわかりやすく書く」というのは、つまり「読者」「情報を受取る側」のことを考えて文章を書くということにほかならない。しかし、「わかりやすさ」を押し出そうとすると、必然的に読者のレベルを過小評価して考えがちである。「どうせ詳しく書いてもわからないだろうから」という感覚で説明を省き、ぼやけた表現になる。曖昧な表現は聞こえはいいけれども内容はない。

しかし、読者からすると、曖昧な表現ほど目につきやすいし、それはある意味「ごまかしている」と捉えられてしまう。「どうせわからないだろうから」という考えでいても、読者は書く側が想定したレベルを遙かに越してくる。むしろ曖昧さをできるだけ排して、多少の難しさは覚悟の上でしっかりとした説明をするほうが、受け取る側にとっては親切である。学振の場合、いくら専門外といっても、(数物系科学なら)物理や数学の素養が全くない人が見るわけではないから、ある程度つっこんだ説明が可能だろう。(本当の所はわからないが)

「わかりやすさ」は「引き算」ではなくて、過不足ない説明を組み立てた上で、どうわかりやすくするかという「足し算」の発想が大事だということは、肝に銘じておくことにする。

クイズにおける「過去」

本を読む時、好みの著者というのは自然にできるものである。私の場合、そのひとりに三中信宏先生がいる。彼の著作は何より惚れ惚れするまでの博覧強記に支えられている。それでいて、細部に埋もれることもなく、明快な文章を書かれる。自分も文章を書く機会があるので、参考にしたいところでもある。

さて、色々と思うところがあって、『分類思考の世界』(三中信宏・著、講談社現代新書)を読み直した。きっかけはという、クイズにおける「ジャンル」というものの考察について多いに示唆を与えるものだと思ったからである。(この辺りの考察は後でまとめることにする。)ところが、読み進めるうちに、別な発想に至ったので、それをtwitterで流したところ、反響があったのでここで詳しくまとめておくことにする。ちなみに三中先生の「三部作」はとても面白い著作なのでお薦めしておきたい。

系統樹思考の世界 (講談社現代新書)

分類思考の世界 (講談社現代新書)

進化思考の世界 (NHKブックス No.1164)

『進化思考の世界』の中では、「系統樹思考」と「分類思考」という2つの考え方が対置される。大胆に要約するならば、「分類思考」とは、ある時間的な断面における分類パターンの認知であり、「系統樹思考」とは、その断面におけるデータから、「隠された歴史」を推定する作業である。(『進化思考の世界』pp.104-105)

さて、クイズの世界でこの2つの思考をなぞってみると面白い。

クイズの世界では、クイズの形式について割りと色々な分類が存在する。問題文の長さに着目すれば「長文」「短文」という別ができる。難易度によって「易問」「難問」の別もできる。これまで色々なクイズ大会が催されてきたが、それらの中で何回その答え・問題が出現したかによって「ベタ」「非ベタ」の別がある。発想を必要とするか、知識そのものを問うかによって「変化球」「直球」の別もある。こうした分類は多岐にわたるであろう。

こうした「分類」は、まさに今作られているクイズを「分類する」という「分類思考」のなした賜物である。おかげで、我々は例えばクイズ大会を催すときに、どういう問題が出題されうるのか、ある程度のレベルで記述できるようになった。

それでは、このクイズにおける「分類思考」に対する「系統樹思考」とはどういうものだろうか。というより、以下に示すような意味で、「系統樹思考」(というより、もう少し弱い「歴史」に対する態度であるが)ももっと注目されていいのではないかというのが、私の言いたいことである。

私が大学に入学したぐらいの2000年初頭は、「長文難問」が全盛期であった(と私は考えている)。長文とは何なのかについては、ここを見ていただくことにして、そのさなか、2002年にabcという、大学生以下限定の短文ベタの大会が産声を上げた。この大会は瞬く間にクイズ界を席巻し、もはや500人近い参加者を集めることとなった。

この現象を、「短文の大会が突如として現れた」と解釈するのが果たして適切なのかというのは疑問がある。むしろ、abcという大会の出現には、何らかの隠された「歴史」があるとするのが自然ではなかろうか。それは表には出ないかもしれないが、何らかの「歴史」がそこにはあると考えるのは自然である。

更にいうと、「長文」そのものの歴史も考える価値がある。上のリンクでは、「短文のパターン化」への批判から、長文が生まれたとしている。では、その変化はシームレスに進んだのか、それとも、あるとき突然長い文章の問題が現れだしたのだろうか。少なくとも、まだ辛うじて20代の私にもその辺はわからない。

こうした、「歴史」に関する問題意識はそのへんにゴロゴロ転がっている。もう少し例を出そう。「ベタ」というものがある。つまり、ある程度パターン化されきった問題であるが、いったいベタは何回出題されたらベタになるのか、それもよくわからない。

また、「〜ですが」という言葉で繋がれる「パラレル」という問題の形があるが、昔の問題を見ていると、「〜。では、」という言い回しも見られる。いつからこれらは「〜ですが」に統一されたのだろうか。

もっと言うと、同じ答えの問題でも、問題文が違うことがある。それらの問題の間の相互関係、時間的関係はどうなっているのか。

こうした、クイズの「歴史」に纏わる問題は多い。注意してもらいたいのは、これらの問題は単に、作った人間にインタビューするだけの「歴史」では終わらないことだ。多分、作った当人も意識しない「変化」を察知することも重要である。どんなに「(その時代において)新しいクイズ」を作ろうが、それが過去を引きずらないとは誰も言えない。当人も気づかないところで、何らかの形で誰かの影響を受けている可能性は否定出来ないだろう。そうしたものを「クイズ」の中から読み取ることはできないだろうか。

なぜ私がこういう「歴史」に興味があるかといえば、それは私のようにクイズを媒体に何かをしようという意思のある者にとっては、先人に学ぶものがとても大きいからに他ならない。加えて、自分たちの「発想」は実は先人たちの掌の上にあるかもしれないという「謙虚さ」を再確認することでもあるかもしれない。

こうした、「(当人たちも気づかないかもしれない)歴史」を復元する作業ができたなら、「クイズ」というものが辿ってきた系譜もわかるのではないだろうか、というのが、私の今の考えである。

4/16

[体調不良]

昨日から引きずっている疲労のせいで、今日は院生室のソファーでぐったりとしているのみという一日になってしまった。何しろ、なんにも考えられないんだもの。色々と┣┣”は殖えているというのに。

[え、囲うの?]

今日聞いた話で衝撃を受けたんだが、LaTeXで”|-a|”(-aの絶対値)を打とうとするとき、$|-a|$と打ちたくなるが、実際にやってみると、
\[
| -a |
\]
となり、マイナスの左右が結構空いてしまう。これは、”-“が二項演算子として解釈されてしまっている、つまり、”|マイナスa”という解釈をされているからだという。

正しく表示させるには、$|{-a}|$という風に、-aを{}で囲んでグループ化するそうだ。
\[
| {-a} |
\]
参照: 絶対値記号 - PukiWiki

今まで間違って使っていたのでゾッとした。

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4/15

[シンサクール蒲田]

TQCの方は新歓例会があるようだが、こちらのほうでジャンル別ペーパーを担当しているので、タスクがある方を優先してみた。

ジャンル別ペーパーは、(pre-)five letter codeと題して、要するに漢字5文字が答えになる問題を出題。20問ぐらいできるかと思ったが、どうにもいい5文字が浮かんでこないので14問に縮小し、そのかわりどうでもいいことを問題文中に突っ込むことに労力を使った結果、「『異文化交流』も五文字」というコメントを入れるに至ったわけであります。

stepsのときに強烈な睡魔(ペーパー印刷やら何やらであまり眠れていなかった)に襲われたせいで、予選は全然正解できず。今日はないなと思っていたが、その後の本戦シングルAで、3連答していったあたりから調子が戻る。周りからは、「いきなり覚醒した」だの「どうしてここ(シングルA)にいるんだ」などというツッコミを受ける。

当たり前だけど、どうもメンタリティみたいなものが押しに影響しているらしい。例えば、

  • 早押しでスタートダッシュ(1問目正解とか)を決めるとその後が楽になって抜けられる。つくばオープンでは大会第1問目を「Ruby」で正解して落ち着けたし、TPPの敗者復活では第1問目の「リングワンデルング」を取れたし。あと東工大オープンの敗者復活もそうだった。
  • 特にこのstepsでは、予選の結果に応じてレベル別に本戦を争うので、同じぐらいのレベルの人と一緒だからある程度正解できるかもという光がある。だから自然とボタンを押すのも早くなる。

ということだから、何より自信を持って臨むのが大事で、あまり自分を「弱い」とか思わないほうがいいんだなと実感した。大体自分は実力的に中ぐらいだと思っていることにする。

[渋谷飲み]

シンサクール蒲田は途中で抜けて、渋谷で母国に帰る留学生の人の送別会。眠さマックスで壁に頭をぶつける。獺祭は美味しかった。

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4/9

[本日の不覚]

研究科の図書館の終了時刻を間違えていた。生協書籍部に行かないといけないはめに。

[本日の┣┣”撃ち]

今年度からの非常勤講師関係の┣┣”を放流。今週木曜日には初講義があるので、準備しないといけない。

一応教科書は指定しているが、我が放牧場には「演習問題作成┣┣”」が跋扈しておるではないか。これが優先だとして、「講義ノート┣┣”」も待ち伏せしておる。うぐぐ。

[修士セミナー]

ポスドクたる自分には直接の関係はないのだが、自分のいた研究室にM1が2人入ったとのこと。さて修士セミナーの本を何にするかに関するメールが届いた。師匠が挙げた本は3つ。順問題が2冊の逆問題が1冊。今日ちらっと眺めてみたんだが、逆問題の1冊が自分の興味ある(=勉強しようにも時間がなかった)部分をどんぴしゃにカバーしているではないか!これはポスドクとして修士セミナーの発表を聴くことに大いなる意味が生ずるのだ。これは是非とも明日のミーティングで「これはオススメでっせ」的オーラを出す気満々であるが、最大の問題が一つ。

フランス語で書かれている。(他2冊は英語)

勝算がない。まあ、修士セミナーを使って勉強しようなどという他力本願な考えはダメだな。自分で読むとしよう。

[桜&菜の花]

桜
菜の花
春だなあ。

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4/5

●[コーヒー] 私の働く研究科では、夏学期・冬学期が始まると「コーヒータイム」がある。コーヒーを飲みながら人と喋る時間である。

今学期のコーヒータイムも今日からスタートした。ほとんどの話が、今学期出された逆評定の中身である。さして面白いコメントもなし。

●[新歓] アドミニストレーション棟に用事があったついでに、サークルオリにちょっと顔を出す。ぼちぼち来てはいる模様だが、実際例会に何人来るかはわからないという感じらしい。会長と話をしていて、新歓をやる上で大切なことを言うのを忘れていたことに気づく。

興味ゼロの新入生を100(入会)まで持っていくのは至難の業だと思う。できるかもしれないが、時間はかかる。それより、40か50ぐらいのレベルの興味の人たちを100に持っていくほうが楽だし、人を増やすという観点から言えば効率的だ。このような狙いを持った新歓においては、「TQCというクイズをやるサークルがあるんですよ〜」という「存在」を知らしめることがキーとなる。

まあ、それが難しいのだが。

●[新プロジェクト] あるプロジェクトが始動しようとしている。面白いものになりそうな予感だ。

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4/4

●[ガイダンス] 11時より特任研究員ガイダンス。大して大きな変化なし。担当が変わったぐらいか。各所に数点の書類を提出した。

●[机移動] 今使っている院生室の机が手狭になってしまったので、(整理がてら)同じ部屋の別の机に移動することにした。

新しい机

これまでに比べ、横幅が広くなり、さらに両サイドに抽斗があるというデラックス感!ちなみにこれまでの机は空になった。

古い机

●[M1の彷徨] さて、本日は新しいM1の方々が、院生室を巡ってこの研究科の廊下を彷徨い歩く日である。我が院生室は6つの机が空いているが、今のところ4人が新規入室、空きは残り2つである。

この研究科では、研究室ごとに部屋があるというわけではないので、異なる分野の人たちが同じ部屋にいることで交流が進むという利点はある。しかし、やはり同じ研究室の人間がいたほうが何かと重宝するので、結局「〇〇研が多い部屋」だとか、「幾何の人ばかりの部屋」などが形成されていくのである。それに比してみれば、我が院生室はそこまで分野的な偏りがない印象を受ける。

そういえば、自分のいる研究室に新しくM1が2名入ることになった。これは兄弟子として数学的かわいがりをだな(ウソ

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4/3

●[雨風強し] 今ブログを書いているこの時点(午後4時ぐらい)で、家に帰って来ている。うちの大学でも午後2時ごろに早期退社の勧告がメールで回ってきたので、無理はせずそれに従う。しかし我が家は大学から歩いて5分の距離なので、雨風ひどくならないうちに帰宅できるのである。職住接近の素晴らしさたるや!

●[表題とは] 夕方のニュースは特別編成。それにしても、フジテレビの「爆弾低気圧関東直撃」というタイトルには個人的にあまり良い印象を持てない。今起こっている現象以上の煽情的な印象を与えてしまう。多分「爆弾」と「直撃」という言葉が強すぎるからで、「超大型低気圧関東接近」とかならまだ良かったのではなかろうか。

非常に好意的に解釈して、「あえておどろおどろしいタイトルにすることで注意喚起を促す」ということも考えられるが、もし注意喚起したいなら、「関東暴風雨」というもっと具体的な言い方がある。問題の「爆弾〜」は嘘を言っているわけではない。しかし余計な印象を付加するような表題のつけ方は、あまり誠実さが求められる場面では(報道においてそういうものが求められているのかということはさておいて)やるべきではない。

こういうことは単なる「マスコミ」だけの問題ではない。内容を伝えるに必要十分な表題をつけるというのは難しいことなのである。論文のタイトルも、単語一つで読み手が受ける印象が違う。自分の意図したものとは異なる意味合いに取られてしまうこともある。タイトルもまた推敲されなくてはならないものだ。

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4/1

[断SNSオシマイ]

「SNS断ち」は見事に2日で終わった。3日坊主以下だった。

もう少し、精神を休めたいと思うときにやるべきだと思った。

[万愚節]

今年のエイプリルフール、DPZはデリーポーランドZになっていた。去年はデリーだけだったと思うんだが、パワーアップした。それにしてもヨーロッパには唆られるものがある。

翻って自分の周囲を見ると、UNOさんがやらかしてくれた。

UNOさんの50問ペーパー問題

UNOさんの50問ペーパー解答

構想3日ぐらいとのこと。ここまでのクオリティのもの用意する時間でUNO(大会名)の問題を準備できたんじゃないかと思うのだが、それでもやるという姿勢を見習いたい。

しかし、恥ずかしながら自分も気づくのに数分かかってしまった。

[特異値のはなし]

Twitterの会話から考えていたこと。ある行列の成分と固有値の間の評価については色々知られている。有名なところだとPerron-Frobeniusの定理がそうだし、もっと一般的なものとしては、Gerschgorinの定理というものもある。因みにこの辺は『行列解析の基礎』(山本哲朗・著)に詳しい。

さて、正方行列とは限らない一般の行列については、特異値を考えることができるが、特異値とその行列の成分との関係はどうなっているのかというのがふとした疑問なのである。

有名な事実として、正方行列の特異値すべての2乗和は、その行列の2乗ノルム(=行列の全成分の2乗和)に等しいというものがある。しかし、正方行列ではない場合はどうなっているのか、『行列解析〜』を見てもすぐには見当たらない。

ていうか、行列\(A\)の特異値とは、要は\(A^{\ast}A\)の固有値のルートなんだから、定義+固有値評価定理云々で色々出てくる気がする。しかもこの場合は有限次元で、\(A^{\ast}\)も単なるHermite転置だ。そこまで悩む問題でもなさそうな気がする。(←但し第一印象。)

大学で論文を漁ってみることにする。

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3/30

[断SNSも24時間を迎えた]

時間の使い方が却ってわからなくなってしまう。時間が空いているのなら、研究なりなんなりすればいいではないかと思われがちだが、「空いている時間を使う」ということにもそれなりのエネルギーは必要だと考えられる。

「孤独の使い方」というのは今年のテーマの一つなのだが、なかなか使いこなせない。

[年度末の光景]

年度末になると、各所で慌ただしい光景が見受けられる。自分の今いる職場からも、何人か去っていく人がいる。名残惜しいことである。

[これからの教育の大問題]

今や子供達にまでWebが浸透している時代である。まして、顔文字という文化を取ってみるに、もはや書き言葉の一部として認知されていると言ってもよかろう。

さて、そういう時代だからこそ、教育に関する重要な問題が発生することが皆さんおわかりであろうか。それは

如何にして原稿用紙に顔文字を書くか

という問題である。

そんな話を今日はしていた。大体、原稿用紙を使った作文の授業って、今の小学生とかやるのだろうかというところからして疑問である。小学生でさえパソコンを使える今、原稿用紙の意義といえば、文字数が数えやすいということと、日本語の組版規則(ぶら下がりとか)を小学生のうちに徹底的に叩き込むツール・・・あ、これは実に大事なことではないか(←個人の感想です。)

ということで、この問題は「顔文字の組版」という問題に昇華したのである。昇華したついでに面倒になったので、これ以上の言及はしないでおこう。

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